どう稼ぐかよりも
どう生きたいかを考えた結果
多品目・自然栽培をえらびました
母の優しいご飯で生き返る
ブラック企業で疲弊しました。
心も身体もボロボロになって、地元埼玉県熊谷市の実家に帰ってきました。24歳のときです。
母の作る、自家農園野菜をふんだんに使い、薄味でシンプルなご飯を食べて1週間で体調が回復した経験から、食と健康について考え始めました。
進路に悩んでいるときに、スローフードと呼ばれるジャンルに興味を持ちました。
自分で食材を育て、化学調味料に頼らないクラシカルな調理。お皿を待つ時間も楽しめるテーブルセッティング。農を感じ取れる料理を心がけています。
食に関わる全ての人にPeaceful Tableを。
Peaceful Table代表 食農ディレクター 柿沼良輔
父の病気を機に
父が中心となって、お米を作っていました。
子供のころは、嫌々手伝わされていました。
父が身体を壊し、コメ作りができなくなりました。
私が26歳の時に、生まれて初めて『お米を買う』という事をしました。
その時感じたのは
『あぁ、そっか。
誰かが作らないと、お米って食べられないんだ』
それから食と農について真摯に向き合い、今に至ります。
(まだお米は作っていません。)
野菜はインフラだ
安心して食べられる新鮮な野菜がたくさん出回っている。外食でもご家庭でも、産直野菜が手軽に楽しめる。
せめて自分が暮らす街だけでも、そんな街にしたいと思います。
『野菜はインフラだ』『農と食で生活をより豊かに』
Peaceful Tableの役目は、農業でも飲食業でもなく、多くの人が暮らしやすい街づくりです。